詩人 久宗睦子

詩集『新・日本現代詩文庫99 久宗睦子詩集』から

愛河


愛河 と 今は中国語で呼ばれる その川のことは
ずっと書いてきた気がするが
実は一度も最後まで書いてはいない

書こうとすると
いっぺんに多彩な川面の紋様が浮いてきて
川なのに わたしの中を流れてゆかないのだ
どんよりと ひと所に溜まってしまう

油のせい そう 船が沈むとき大量に流れる
あの油 を 青い炎が走ったあとの

その港から河口を伝って
虹色の光る絵具を溶いて浮かばせたように
登下校の わたしたち女学生を橋の上に立ち止まらせ
ただ 無言の眼を見交わさせた 川面

港を出たばかりのところで また( 昨日もまた今朝も )

橋上から遠望出来る場所で
沈んでしまった輸送船の
鯨が空に吠えるように見える 悲痛な最後の舳先の姿のことを
話し合うことは 禁句なのだったから

そうして 遂に名も知れず
戦場にも まだ到着せぬうちに
終わってしまった ひとたちのことは
このままずっと書かないでいるだろう と 思う
“愛河”
わたしなどには とても書ききれる筈がない 多種多様の
大量の愛 を沈め
愛の許へ 未だに帰郷させていない
その川の ことは


月下香幻想


天上があるから 月下というのですね

南の島の夏の終りは大きな大きな月
小さな邨(むら)の煉瓦積みの粗末な家々や水牛が
芭蕉の葉蔭に眠っている時刻
邨(むら)のめぐりの山は黒々としずかですが
月の光は まるで水底のように
皓々と 集会所や日本式の庭園や渓谷を
映し出しているのです

相思樹 と いみじくも呼ばれた樹
その実は珊瑚玉の朱い花かんざしの いろ

月下香( チュべローズ )を ご存じでしょうか
夜だけ咲くのです それも夏 南の夏
白い六弁の花が 穂のかたちに 向きあって
あまりに甘く強い芳香が
ひとを迷わせてしまう ことも

日本式の庭園には四阿があって
そのひとはそこが好きでした
“隼”と称ばれた編隊が 空中で散って
そのひとは ひとり 南の島に廻されてきたのです
いつも夜になるとそこに来て
軍刀をつかんで“隼”のうたを朗々とうたう
わたしは長い三つ編みの髪をほどいて
その中に月下香のいくひらかを忍ばせ
前髪も瞼のうえに深く垂らせて
相思樹の 樹の下に 佇つのですが

月の光は あまりに あかるく
わたくしたちの 影さえも なかなか相寄れず
ほんとうは 影のうえに 影を…
そのひとに ひとひらの芳香を移したいと……

つぎの朝は もう 天上にゆくひとでした
そのひとだけでなく 六人のひとが
宿舎だった集会所の壁の 白い大きな紙に
「 至誠 」とか「 花と散る 」とか「 幸福を祈る 」とか
なかには血で  「 無 」 と書いたりして

日本でもなく かといって外国でもなかった島
の 大きな月の夜に
見送る長い髪もなくては
天上にゆく そのひとは
どんなに さびしいことでしょう と

月下香( チュベローズ )  この花は メキシコが原産だということです
でもその夜は たしかに 日本 のために咲いた花です
月の下で あざやかに匂いつづけて――
その匂いに しずかな挙手の礼をして
背を向けて邨を下りていったひと

いまでも 月明の夜に
一羽のかささぎが 天上を渡るとき
白い羽ばたきを視る たびに
もう その香を聞くはずのない 月下香の
はなびらが 散ってくるようで
わたしは 胸に挿したままの珊瑚の花かんざしを
握りしめ 握りしめて………


水族館で


魚たちが明るく回遊する水族館が増えたのに
この古びて忘れられた海辺の水族館は
小さな間仕切りの四角い窓が並んでいて
海藻がゆらゆらと漂い
細いパイプが水泡をシャボン玉状に噴く
客足も少ない平日の ただ一人の観客の私
まして 夕暮れのこの時間
光りの射さない暗い館内の一隅に坐って
ぼんやりと魚たちを眺めていると
まるで私自身が 深い海底に沈んでいる
廃棄物の一種になった気がする

ずっと視たいと思いつづけて未だ果たせない
あの海 の底も この様に昏くて
なかば錆びた窓枠や 黄ばんで欠けた白珊瑚
敷かれた小石は蒼くびっしりと苔むして
銀色に透けた柳の葉に似た魚がまぶしいだけ

“沖縄の海は美しいんだよ だから僕たちが
 護るために征く 還れないが 泣くな
 いつかまた逢おう 透きとおる海の底で“

みんな普通の若ものだった 学帽の名残に
きのうまで続けて語ったデカルトの理論も
キェルケゴールも「マルテの手記」も
そっと私にだけ歌ってくれた黒人霊歌( ニグロスピリチュアル )も
同じ一本の白い鉢巻になって
懐疑も信念も恐怖も未練も きっぱりと
瞳の中に封じ込めて 風防ガラスを閉めた

特攻機――たしかに語り継がれている言葉
あの戦争が終わって五十年 忘れてはいないが
 ( みんな どこに居るの
  沖縄の海は 今でも澄んでいますか )
終戦間近の晴れた五月に台湾の飛行場から
四回に分れて沖縄に出撃した あの人たちは
菊水隊と名付けられた あの人たちは
昏い深い海の底で 香華のかわりに汚塵を
開発の名のもとに投流される廃水を
いま哀しく眼窩に埋めさせられてはいないか

偶然にも飛行場近くに疎開した少女の私に
眩しい銀翼を空から振ってくれた別れの朝よ

まなざしで託されてきた祈りを
次の世代に どう伝えてきたのだったか
平和を願うことの 繁栄を急ぐことのあまり
捨てて省みないものの多い寒々しさ
堆積してゆく悔悟ばかりの珊瑚礁に
脆く崩れがちな 自由という名の白々しいその枝々

水槽の一つの窓から タカアシガニが
じっと動かずに 先程から私を瞶めてくる
鋏に似た前脚だけが小刻みに絶え間なく
見えないものを口に入れてみせる動作は
飽食の罪を私にも問いかけてくる人面に似て
その循環律に 次第次第に巻き込まれ
食(は)まれていく様な この身の痛さに
私は固い木の椅子から立ちあがれないでいる


著者 久宗睦子(ひさむね むつこ)
1929年東京生まれ。詩誌『馬車』主宰。詩集『春のうた』(1982年、山の樹社)、『風への伝言』(1990年、近文社。女声合唱曲として音楽之友社より出版)、 『末那の眸』(1992年、土曜美術社出版販売)、『鹿の声』(1994年、本多企画)、『薔薇薔薇のフーガ』(1998年、潮流社)、『千年ののち』(2001年、本多企画)、 『絵の町から』(2004年、本多企画)、『新・日本現代詩文庫99 久宗睦子詩集』(2012年、土曜美術社出版販売)。

掲載されている詩の著作権は、詩の作者に属します。

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