詩人 大倉元

詩「父やんの一心」「うどんげの花を見つけた」「たかく たかく たかく」
詩集『祖谷(いや)』(二〇一三年、澪標)所収。



父やんの一心


昭和十九年八月
長兄忠義戦死の報せが届いた

遺骨箱が還ってきたが誰も中は見なかった
石や木切れが入っているだけだと噂されていたのと
何より兄の戦死を受け入れたくなかったから

ぼくの家では 「 天照皇大神 」と書いた掛け軸を
むしろ敷の客間にお祀りしていた

父やんは一生懸命に拝んでいた
「 忠義が戦死をしたならこの手を下に
生きているのなら上に持ち上げて下さい 」と
両手を合わせて祈っていた
父やんの合わせた手が上へ上へ引っ張られ
家は大きな音をして揺れた
母やんも正兄も利兄も春兄も照姉も美佐姉も
末っ子の五歳のぼくもびっくりして後ろで拝んだ
父やんはふらふらしながら立ち上がり
疲れきった表情で大きく息をし
「 忠義は生きとるぞ神さんのお告げがあったわ 」と
目を輝かせ満足そうに言うた
母やんの目から涙がこぼれた

あの日から六十七年
父やんも母やんもとっくに逝った
一縷の望みを抱いたものの今だに兄は帰って来ない

お国のためにと散った命は二百万人を超えると聞く
どの家にとっても大切な命

僕は小さかったので兄の思い出はないが
村では評判の利口者だった
と 聞いたことは今でもおぼえている

生きていれば九十二歳



うどんげの花を見つけた


母やんがうどんげの花を見つけた

昭和一九年 忠義兄が戦死した
みんなが沈んでいる時
母やんがうどんげの花を見つけた
軒下の垂木に咲いていた

昔からうどんげの花はええことのお告げや
と 信じられていた そんやから
「 忠義は戦死なんかしとらん 」
父やんが言うた
みんなは少しばかり希望をもった

それからのぼくには藁葺き屋根の軒下の垂木を見て
うどんげの花探しが始まった

とうとう見つけた
「 うどんげの花が咲いとる 」
父やんも母やんも正兄も利兄も春兄も
照姉も美佐姉もみんなとんで来た
「 よう見つけたのう 」と言うた
ぼくは見つけたことが大変嬉しかった
ぼくが五歳の時だった
白くて細い茎が集まって
花と言うより茎の集まりみたいだった

それからも時々見つけた
だが 兄はもんてこん

やっぱり死んでしまったのか
それでも時々軒下をのぞく
母やんはヒョットしたら との
気持ちをまだ捨て切れないんだろう

昭和五十一年
祖谷の深い霧の中で母やんは逝った
母やんと兄は今頃
天国でどんな話をしとろう


   うどんげの花 : 優曇華(うどんげ)。三千年に一度花が開くという。
         めったに見られないところから良い機会にあう心持ち。
         ( 三省堂国語辞典より )



たかく たかく たかく


お父さんとぼくは
こいのぼりをあげた

どこよりも
たかく たかく たかく

お父さんがおよぎ
お母さんもおよぎ
ぼくもおよぐ
こいのぼり

ぼくは
「 おかあさん
はやくかえってきて 」
と ふきながしにかいた

お母さん
見てるかな
たかく たかく
およぐ
こいのぼり

病院の窓から



著者略歴
大倉元(おおくら・げん)
一九三九年 徳島県西祖谷(いや)山村(現・三好市)に生まれる
詩集『祖谷(いや)』(二〇一三年)澪標(みおつくし)
詩集『石を蹴る』(二〇〇八年)澪標
作詞集『もじゃこ』(一九七一年)私家版
作詞集『五十年前のラブレター』(二〇〇八年)ウーマンライフ新聞社
所属 日本詩人クラブ 関西詩人協会 近江詩人会 「風鐸」、「ふーが」同人 


掲載されている詩の著作権は、詩の作者に属します。

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