高畑耕治『死と生の交わり』


死と生の交わり

(1)


交わることもできず隔てられているひと。
殺されていったひとりひとりのひと。殺されていくひとりひとりのひと。
交わることもできず隔てられていながら、
ひとりである思いのうちに 沈黙として 沁みこんでくることが感じられた
叫び。  それさえ ひとりであるわたしの叫びでしかない。
みつめることも 聴くことも 触れることもできない。けれど
拒もうとして ひとりであることをかみしめるほど、
うちから
寂しさのうちから うかびあげる 呼びかけに
沈黙を殺すことにむけられた 怒りが
むなしく響く。その響きをつつみささえる 沈黙。
わたしの ひとりきりの声は
どこともしれず偏在して感じられた沈黙から どうしようもなく隔てられていた。
交わることもできず隔てられていた。
ひとりであることの 怒り 叫びは 沈黙と交わることはできない。

ひとりであることの果てに
交わりながらひとりであることをかみしめていく果てに
とけあいひとつになることの 幻想が破れそれを捨てさりふたたび
ひとりであることを見いだすとき、
耐えきれず 自分を殺すとき、殺されるとき、
交わりからひきはがされ 思いが消えていく単音としてみはなされるとき、
消えていく単音でしかなかった自分の響きの脆さを
のみこまれようとする沈黙をまえに おののかせ ふるわせるとき、
殺されるときはじめてひとりであることをほんとうにかみしめるそのとき、
隔てられ交わることのできないひとりひとりのひと
その沈黙と響きあうことができず
沈黙をけがす雑音でしかなかったひとりであることのまま
どうすることもできず 雑音を消すことをえらぶとき、消されるとき、

ひとりでは ない。
交わりはないけれども、ひとりである音と音の響きあう交わりは
失われ 消えさるけれども、
それらの響きあう交わりをささえみまもっている 沈黙に
隔たりをこえて とびこむとき、
はじめて
ひとりでは ない。
隔たりは ない。
激しくねがいながら交わることを拒まれつづけたひとりひとりのひとと
交わりをこえ
ひとつの響き
沈黙に
なる。



「 死と生の交わり (1) 」( 了 )

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