高畑耕治詩集『さようなら』


白黒が、
 セピア色に染まるまで


 あなた、どうしていますか。わたしたちのこと心配してるでしょうね、わたしと由美だけは無事でした。
 あれからわたし、どうしていいのかわからない毎日だけど、いまは由美とふたり、母のふるさと、祖母のもとに身を寄せています。
 あなたも両親も失ったいま、これからのことを思うとこころは沈むばかりですが、突然のようにやってきたわたしたちを祖母はやさしく迎えてくれました。

 ちょうど由美とおなじ年ごろ、夏になれば毎年のように、汽車に乗りバスを乗り継ぎ、この山あいの村にやってきました。汽車の窓から眺める景色、おべんとう、おかあさんの笑顔、旅の楽しかったこと。
 おばあちゃんはわたしの夏の恋人だったのです。
 まばゆいひかりのじゃり道を駆けてゆくと、手ぬぐいで黒髪を結わえた笑顔が、揺れる稲の波から咲いて、両手をひろげ迎えてくれました。
 わたしも麦わらぼうしの女の子だったのよ。おばあちゃんは由美を、昔のわたしそっくりだと、笑いながら抱きあげてくれます。
 白髪の美しいひとです。年をとるほど美しくなるひと、わたしは好きです。

 由美と散歩ばかりしています。ふたりともあの日からのこと忘れたいのです、いまもこわいんです。
 暑い日射しにむせかえるような草いきれのなか、由美はなな星てんとう虫を見つけてうれしそうに、しゃがんでじっと見ています。と、草の葉が突然ひるがえり、由美の顔をかすめて飛びたちました。
 驚いて泣きだした由美に、あれはねばったと教えると、ばった、ばったと不思議なメロディーでうたいながらもう夢中で草むらに入ってゆき、ばった、ばったと指さして得意気に教えてくれます。道ばたのあざみに誘われると、とげに驚いてまた泣きだしましたが、髪にさしてあげたら、ほっぺたも赤い花になって、にっこり。

 毎朝、近くのおじさんのうちに搾りたての牛乳をもらいにゆきます。しっぽをぶらぶらさせる牛のおしりに夢中になった由美は、突然おおきなうんこを浴びて泣いて帰りました。それでも牛乳をあたためて浮かんだ白い膜を指でつまんでは口のまわりにつけながら、とてもおいしそうに、またお牛さんに会いにゆこうねと笑います。

 夕立ちにびしょぬれになった雨あがり、窓ガラスにはりつく雨がえるを見つけた由美は、白いおなかを、お花みたい。いつまでもにらめっこしていました。おばあちゃんと花火をしたあと、あれが天の川。見あげていると、星があんまりいっぱいなのにびっくりしたのか、おおきく口をあけて、だまっています、と、花火のお花畑みたい。

 蚊屋をつるして寝ています。はじめて見た蚊屋がおもしろいんでしょうか、由美は毎晩はしゃいでなんども出たり入ったり。まだ夜がこわいんでしょうか。それでもやがてぐっすり寝息をたてています。稲のかおりとかえるの声がふたりをつつみ、守ってくれています。でも、あなたがいないから、さびしい、けど、心配しないで。

 あなたもいちどだけ見たかしら。
 こんなに色もかおりも音もゆたかな美しい村には不似合な、白黒の、写真があります。
 部屋に掛けられている男たちの写真。
 わたしが幼かったころと、同じ場所、同じ位置にたたずんでいる、黒枠の、軍服姿の若者たち。変わらない表情。不動の姿勢。ただ、歳月の日射しに焼けたのか、白黒の写真が、いまは悲しいセピア色。

 由美は幼いわたしがしたように、写真を指さし、あのひとだあれ? 無邪気にききます。
 わたしのおばあちゃん、由美のひいおばあちゃんは笑って、由美ちゃんの、おかあさんの、おかあさんの、おとうさん。
 由美はひとさし指をまゆ毛にあてて困った顔。?
 由美ちゃんの、おばあちゃんの、おとうさん。
首を傾げながらも、なんとなくわかったのでしょうか。
そのひと、ひいおばあちゃんのなに?

 わたしにとってもおじいちゃんはとおいひとでした。おばあちゃんはわたしの夏の恋人だったけれど。
 わたしを産みに母が帰省した日も同じ所で、生まれたばかりのわたし、乳房に顔をうめるわたしを同じ所で、みていてくれた写真。おばあちゃんを困らせる幼いわたしを、にらむように見ていた、笑わない、青年。いまも年をとらない、ひとりの若者。

 あなたを亡くして、はじめてわたし、セピア色の写真のまえで泣きました。おじいちゃんのまえで泣きました。このひとがいたから、わたしはいるんだ。
 おばあちゃんがいるから、わたしはいる、わかっていたつもりです。でもおばあちゃんの悲しみは、愛するひとを奪われ、殺された悲しみは、どんなに。ひとりでおかあさんを育ててくれたのです。

 わたしと由美にはいま、あなたの写真を掛ける部屋がありません。あなたのおもかげを、追うばかりです。
 あなたの白黒の写真が、セピア色に変わるまで、生きてゆけるか、わたし自信がありません。

 由美は今日、おばあちゃんとわたしにうたってくれました。
 あざみとばったとかえるのうた。おかしい、自分でつくったんです。

  あざみ あざみ
  とげとげいたい
  かわいい あざみ ぴんくの おはな
  ばった ばった
  お空にとんだ はっぱのばった
  ( かえるのおなか
  ちっちゃなおはな )これはわたしが手伝いました。へんなの。

 五十回忌を終えたおばあちゃんは、セピア色の写真のまえでわたしに、気がぬけてしまったといいます。でも、由美がお嫁にゆくまで生きたいわと笑います。
 わたしに、あなたのことを愛していたのだから、あなたのようないいひとを見つけてしあわせになりなさい、もういちどふたりで、生きてみればいいといいます。
 あなた、どう思いますか。わたし、しあわせでした。

 セピア色の若者と、白髪のおばあちゃん。
 白黒の若者と、黒髪の女性。
 おばあちゃんはけっして色あせることのないふたりの時間、愛しあった時間を、胸に抱きしめつづけたのではないでしょうか。
 戦争にも震災にも壊されない、こころってあるのですね。

 あなたの写真がセピア色に染まるまで、セピア色に染まっても、由美とわたしを見守ってください。わたしたちがどんなに変わっても、どんなことがあっても。わたし、ひとを愛して生きるから。



「 白黒が、セピア色に染まるまで 」( 了 )

TOPページへ

アンソロジー@
愛・ひとに 目次へ

詩集『さようなら』
目次へ

サイトマップへ

© 2010 Kouji Takabatake All rights reserved.
inserted by FC2 system