高畑耕治詩集『さようなら』


菜の花のひと かもの愛


きのうわたしは菜の花を食べ、かも鍋を食べ、焼魚を食べました。
おいしく頬ばりました。
わたしは菜食肉食雑食動物ですけれど、
ひとのすがたで生きておりますけれど、
菜の花の鳥の魚のからだがこのからだを守ってくれるのですから、
菜の花の鳥の魚のこころがこのこころにまどろみ、
ねむりに沈んでゆきますと、しずかにまぶたをひらくのです。

いちめん菜の花の咲きみだれる野辺をひとりさまよっておりました。
彼方にかすむ山なみのみどりのふもと、けむりがたちのぼっています。
とおいあそこから、わたしはきたような気がしました。
白いけむりは青い空の雲にとけ、雲はちぎれて、
さぎ草のようなうつくしい鳥になりました。
わたしのうえを舞い、みちびいてくれるようです。
ひとりの菜の花がそっとわたしの手をにぎりました。
ふりむけば見知らぬ女性がわたしの肩によりそっています。
なぜかなつかしいかおりが浮かびました。
誰なのかたずねることもなく、話しかけています。
ぼくはさがしているんです。
なにを?
わかりません、でもさがしているんです。
なぜ?
親しげにかしげたくびすじに髪が揺れ、
微笑みが風にひかりました。

菜の花のひととわたしは白い鳥にみちびかれ、
いつか川のほとりにたたずんでいました。
うつくしいさぎ草、白い鳥はみなものひかりに音もたてずに舞いおりて、
わたしをみつめています。
そのおもかげに、いつかどこかで大切にしていたなにかが、
浮かびました。けれど、思い出せないのです。
白い鳥はくびをかしげ、しなやかに折り、しずかに揺らし、
ほそい足で歩いてゆきます、と、
瞬間、水に突きさしたくちばしに、
銀色の、魚がひかり、おどり、きえました。
すぐそばでは防水チョッキを着たおじさんがくりかえしくりかえし、
釣糸をたれています。
釣られなくてよかった、わたしはつぶやいていました、
ひとにならずに鳥になれたね。

岸にたどりつけない中洲に迷いこんでしまったようです。
菜の花のひとはわたしのかたわらをとおりすぎ、浅瀬へ歩いてゆきます。
向う岸にゆくんだね。
みなものところどころに顔をだす、水しぶきに洗われた小石づたいに、
靴を手に、
残雪がまぶしい岸辺へわたってゆきます。
はだしにかみつく雪どけ水。
菜の花のひとは舞うようにしてもう岸辺にいます。
あのかろやかなうしろすがたを、いつかどこかでみつめていた、と、
気をとられたわたしは、
冷たい水にばちゃ。
びしょぬれで川岸になんとかたどりつき、寒さに凍えていますと、
菜の花のひとは枯草と枯枝をあつめ、火をおこしてくれました。
はじける火の声と川のせせらぎがうつくしくささやきます。
あかく揺らめく火のほとり、ふたりみつめあい、かたりあったのです。

あの白い鳥、きみはしっているの? ぼくは、
いつかどこかで会った気がする。
きみは飛べるの?
手のひらで風をつつむとからだが浮かぶわ、ゆめのなかでは。
でもゆめじゃないと思うの。
空が呼んでいるんだね。
ぼくは落ちるんだ。こどものころ、よくゆめをみた、
橋がくずれて川にすいこまれてゆくぼくをみおろしているんだ。
川が呼んでいるのね。
だからぼくはもう一度、川に戻ろうと思う。冷たい水にはまって、
魚のともだちにしてもらうんだ。
おぼれないでね。
あの白い鳥に食べられて、飛ぶんだ。いつか、さぎ草になれる。
おじさんに釣られないよう気をつけてね。でもわたし、
白くうつくしいさぎ草より、あなたのように足の短い、
雑草のような、
かもが好きよ、
わたしは、ぶちが好き。

菜の花のひとはどこからか食事をあつめてくれました。
ふたり、菜の花を食べ、かも鍋を食べ、焼魚を食べました。
おいしく、なぜか悲しくいただいた、
最初で最後の晩さんでした。
おなかがみたされ、からだがあたたまると、
炎にうつしだされたこころのみちびくままに、
そっと抱きしめあい、
激しく交わりました。
愛(かな)しく泣く彼女のうつくしい声に、わたしのこころは、
ふるえ、嗚咽をもらしました。
締めつけられ閉ざされていた扉がこわれ、鳥のこころが、
叫び、はばたきました。ふいに、
思い出したのです。わたしは、
愛していた。とおいむかし、
野辺の彼方に見失った、おきざりにした、あなたを。
      思い出した
   ぼくはあなたを
思い出したよ
あなたは風に揺れる菜の花たちを愛した
菜の花たちに微笑むあなたをぼくは愛した
菜の花のひと きみはぼくたちが愛した花
ぼくたちを愛してくれた菜の花ですね
ひとのすがたでぼくを抱きしめ
失われた記憶に息を 吹きこんでくれたのですね
ありがとう 菜の花
ふたりはぶちのかもでした 愛しあうつがいのかもでした
ふたりならんで空を舞い みなもをおよいでいたあの日
山をこえ海をこえ 虹をくぐりぬけた あのとおい日
川をさかのぼる魚たちとあそんだ日
白い鳥 さぎ草にぼくはあこがれた
ゆめをかたりあったあの魚 白い鳥に食べられ
さぎ草になり空に舞いあがったあの魚 白い雲 うろこ雲
菜の花は 旅立ちの季節に萌える花 おわかれの花
さよならの花
北の地へ飛び立とうとしたあの日あなたは
殺された
ならんで飛んでいたあなたが 突然あげた
叫び 悲鳴 落ちていった
野辺のみどり
菜の花たちは激しく泣き
落ちてゆくあなたのなきがらを
やさしく抱きとめた
みどり きいろ 散ったあなたの
羽 あかい血
ぼくは逃げた 忘れたかった
なにもかも なかまをはなれひとりさまよい
疲れ 撃たれ このひとに食べられ
このからだ このこころにねむっていた ぼくは
ぶちのかも
かもは水鳥 わたり鳥
だまされやすいおひと好し鳥 弱い鳥
食べられる鳥 けれど
いのちをわたる鳥
愛してた ぼくはあなたを
愛してる
さがしていたのは
あなた ぼくがさがしていたのは ぶちの
あなた

愛の記憶はひきさかれてもかきけされても永遠に、
きえない火。
春がくるたび、菜の花になり萌えあがります。
抱きしめあいあたためあい交わりあうこころは、
あかくとけあう血。
血は野辺のみどりに萌え、絶えることはありません。
いちめんの菜の花たちのさよならのゆらめきは、
いつまでも枯れることがない、かもの愛の、
うたごえなのです。
かもは弱い鳥、食べられる鳥、
水の鳥、涙の鳥、けれど、火の鳥、
愛しあう鳥。
いのちを飛びつづけ、うたいつづける、ぶちの、
わたり鳥ですから。



「 菜の花のひと かもの愛 」(了)

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