生きものの重なりあう姿はなぜ悲しく心をうつのでしょう。
うららかな思春期、校庭で重なりあおうとするふたりの犬を誰かが見つけ、つまらない授業を忘れてみんな窓から一心に応援したけれど、雄は嫌われたのか振り落とされてそばの池に、ぽちゃん。あっと息をのんで、誰もが人生を教わりました。ずぶぬれの目にしたたる悲しい滴が、今も忘れられません。
旅の土産話は聞く者をうんざりさせます。何もいわずにお土産を、といってもこれしかないし、がまんして聞いてください。
北の湖畔でぼくはかげろうに出会いました。
ヒバの森の奥深く、突然ひろがる湖畔には心を静かにふるわせる風がふいています。
誰にもうち明けられない悲しみを抱きかかえ、険しい山道をとぼとぼ歩きぬき、辿りついたひとたちが吐きだしたため息が、山に囲まれた、この地に降りつもっている気がします。
恐ろしい山です。
木の葉の血がとけだしたのか流れる水は緑です。イオウが白土を黄のしま模様に染め、熱い煙を吐いています。青い土、赤い土、原色が浮かび沈み重なりあう色彩、色の交わりは、ひとの欲情のようにとらえようもない世界です。
からからに乾いた土のした、水音が聞こえ、灰色にいぶされたサンゴ礁のような岩の窪みから、鼻をさす臭気が立ちのぼっています。
かげろうが死んでいました。岩の窪みのなか、もう飛ぶことのない羽根が、からからふるえていました。ふるえながら、話してくれました。
ここはアイヌの森、生きものの聖地ですから、話し手はかわり、ここからはかげろうが話します。
わたしはこの地に生まれ、岩の窪みで死んだひとりのかげろうです。
覚えていますか、かげろうになるまえは犬でした。ほら、あなたの目のまえで池にはまったあの。恋にやぶれたわたしは、あれからどうしても立ちなおれず、風邪をこじらせ死んでしまいました。どういうわけか、水に縁でもあるのでしょうか、土のなかでの深い眠りから目覚め、羽根をひらくと、この美しい湖のほとりを飛んでいたのです。
山に囲まれたこの静かな湖は、澄みわたる青空の白い雲を浮かべます。
風も水もひかりも清らかです。
わたしは風に舞います、ひかる風に。
静かなこの地にときおり、からすの声が響きます。縄張り、えさの奪いあいは激しく、くちばしで傷つけあい、噛まれて負けると悲鳴をあげます。からすはひとに似て貪欲で生命力がありすぎるからでしょうか、わたしは好きになれません。
この地に生まれ、わたしは美しいひとりの娘と出会いました。
彼女はむかしひとだったといいます。
悲しかったといいます。
短いかげろうのいのちとしりながら今しあわせだといいます。
ひとにいじめられた思い出しかないわたしは彼女に会って、
ひとを見る目が変わりました。
愛をなくした痛みを忘れ、見ぬふりをするよりも、
抱きかかえ見つめつづけて死んだほうが苦しいけれどとうとい、
犬らしくて好きといってくれたのです。
やさしいひともいるのだとしりました。
ふたり風に舞い、さざ波のうちよせる砂地の草にとまります。
草はしなやかに喜びのあいさつを伝えてくれます。
水のささやきのように彼女は羽根をふるわせ、
静かに目を閉じました。
ふたり重なり、からだを草とともにおりまげ、
むすばれました。
いつまでも、いつまでもこうしていたい。
死んだわたしがいうのもおかしな話ですが、
ふたり重なりあったその、
時は、今も過ぎさらない、過ぎさることのない、永遠なのです。
湖のほとり、さざ波のうちよせる岸辺で、
かげろうが、今、風に舞い、永遠を生き、
重なりあっているのです。
彼女とわたしは時を止め、
時をはらんで、生きつくし、
岩の窪みに吸いよせられ、眠りにつきました。
死がいはぱらぱら、風に舞い、砂にまじり、水に浮かび、沈み、
いつかひかりにとけてゆきます。
かげろうはこの湖のほとり、原色の世界に、
生まれ、死んで、
湖の風に、水に、ひかりにかえり、
色をうしない、とけあうのです。
ふかく息を吸いこんでごらんなさい、
彼女とわたしはあなたのうちで、
生きつづけます。
話し手はかわり、ふたたびひとが話します。
これだけの土産話です。今、冬の雪のした、あの原色の眩い夏の世界も、白一色に静まっているのでしょうか。
生きものの重なりあう姿がなぜ悲しく心をうつのか、今もぼくにはわかりません。ただ、あれほど懸命に抱きあうかげろうは、美しい、ぼくはかげろうに出会えてよかった、生きていてよかったと思いました。
死んだかげろうたちが今、雪になって降りしきる湖のほとり、雪がとけると、生きつくしたふたりの願いが、風と水とひかりに見まもられ、あたらしい生命( いのち )になり、生まれるのです。