高畑耕治の詩


おばあちゃんの微笑み


花は萎れ、枯れて、種を結びます。そのまま、
死んでしまった、種たちもいます。
土に落ちたわたしは守られて、
じっとしていました。

おばあちゃんの日記のことを母からききました。
農作業と子育て。たんたんと記されていたそうです。
微笑みしか記憶にありません。優しいひとでした。

おじいちゃんのことを、おばあちゃんには聞けませんでした。
幼かったわたしの母とおばあちゃんを残して従軍し、
帰ってこなかったひと。

母も知らなかった遺品、古ぼけた手帳を知ったのは、
おばあちゃんが亡くなってからのことです。

 「 組織は指導者層のための利益をより多く得るために、
 少数者のいのちを犠牲にする。
  利益になる物を誉めたたえ、利益にならなくなれば捨て、
 邪魔なら潰す。
  組織のなかの戦えない者や弱い者、子供を守るという名目は、
 維持の損得勘定と将来の利益の見込み次第で変えてしまう。 」
 「 正しい国・民族・主義のためには、
 弱い者を犠牲にし子供たちが死ぬのは仕方がないと、
 死ぬおそれのない場所で、殺し合いを命じる奴は卑劣で醜い。
  愛するひと、愛する子供を守り、弱い者を救うために、
 自らのいのちを犠牲にするひとは尊い。
  間違っていても卑劣ではない。 」
 「 いのちをかけて守りたいと愛されているひとを、
 戦えない子供を、老いたひとを、病に苦しむひとまでを、
 死の恐怖にさらし傷つけ殺すのはいやだ。
  たとえ彼らが敵と呼ばれていても、いやだ。
  力では戦えない者を、力で押し潰すことを、
 許してしまうのはいやだ。
  戦うなら、力では戦えない者を守るためにだけ、戦え。 」

ほんとは、祖父の遺品なんかありません。
山あいの美しい故郷の土にからだはありません。
古ぼけた手帳も、言葉も、なにもありません。
いい人だったのか、悪人だったのか、わたしはなんにも、
知りません。
反戦者であってほしかった、そう考えていてほしかった、
その時代にまみれて生きていない、私の勝手な願いの言葉にすぎません。


おじいちゃんは手帳を残してくれなかった、何も伝えてくれなかったけれど、
わたしのうちに自然に芽吹いてきた思いは、
時を経て膨らんだおじいちゃんの願いなんだと、
今もおなじ思いでつながっているんだと、わたしが、
信じたいだけです。

「 痛いのはいやだ 」
 「 苦しむのはいやだ 」
 殺すのも、殺されるのも、
 苦しめるのも、苦しめられるのも、いやだ。

おばあちゃんの微笑みがいまもわたしにはあります。

死んでしまった、種たちがいました。
つぶされた、途絶えさせられた、
願いがありました。

土のなかわたしは守られてきました、だから、
ふくらんでいける、土の外に。
伝えるために。
願いを。わたしは、

種子になるんだ、
おじいちゃんたちの、
沈黙の。

絶望の種子からでさえ芽吹くんだ、
希望は。

風に手渡すんだ 花のかおりを。
ひかりに揺れるんだ ミツバチやモンシロチョウと。
青い空に結ぶんだ たわわなまろやかな実を。
ついばんでくれた小鳥たちと 運んでゆくんだ虹の、
もっとむこうまで。 

微笑みの種子を。


「 おばあちゃんの微笑み 」( 了 )
* 初出「 詩と思想 」2003年7月号小詩集『 種子 』。
2010年10月改稿、改題。

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