高畑耕治の詩


いま、ここで

私は動けなくなりました。もう何年もの間、寝たきり、でもほんのちょっとなら。もっともっと動きたい。そうだね、と先生はおっしゃってくださいます。私もそうだなって、願い、祈り、寝たきりです。太陽を、海を、青空を、白い雲を、せせらぎを、野の花を、木の葉を、風を、夕焼けを、あわ雪を、もっと見たい、感じたい。
 手を私に差し伸べ、からだを持ち上げ、連れ出してくれる人がいます。ありがとう。
 あの日、このベッドに、津波は届かなかったけれど、心痛くて苦しくて泣きました。私と同じ祈りを抱いたまま、動けず波にのまれた人、連れ出そうと、そばで、一緒になって、のまれてしまった人。ああ。
 祈ることを私捨てません。でも、どうして。

私は動き出しました。まだ何にも見えません。手のひらを開き始めたばかり、しっぽもあります。海にいます。お母さんの海、おなかの海。
 私がいのち灯る卵となったあの日、津波はここに届かなかったけれど、おびえふるえて泣きました。私と同じふくらんでゆく願いを抱いたまま、もろともに波にのまれたおなかの海の小さな卵とお母さん。ひとり、ひとり。ああ。
 生まれることを私やめません。でも、どうして。

津波がここまできたら、放射能の見えない波に襲われたら。怖くて心張り裂けそう。逃げたい、駆け出したいけれど、動けない、ほんのちょっとだけしか、このからだ。
 手を私に差し伸べ、連れ出そうとしてくれる人がいます。おなかに私を抱きかかえ撫でさすりゆっくり一足ずつ歩いてくれるお母さんがいます。
 私は生きたい、逃げたい、私を思ってくれる、優しい人と。お母さんと。お兄ちゃん、お姉ちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、みんなと。

決して自分が死ぬことはない場所で苦渋の決断を演じる為政者には、ここで、いま、危険に晒されているいのちを守る気などないんだ、金儲けしか見えない傲慢な知識が拵えあげた容器は脆い、虚飾はすぐ剥がれる、と先生はおっしゃいます。
 私も見捨てられたと思っています。こんなに地震ばかりなのに。また崩れるのに、メルトダウンするのに、どうなるのだろう。犬たち、猫たち、牛たち、馬たち、人間以外の生き物たちと一緒に、私のこと死んでもいいと、頭のいいあの人たち、思ってる。見え透いた嘘まみれの言葉まき散らさないで。もうこれ以上汚さないで。

蝉しぐれ、夏がきました。あの夏の、空襲と原爆。動きたくても動けなかった人、どんなにつらく苦しく悲しく痛かったでしょう。ああ。
 人間は弱い生き物だと思います。短いいのちを懸命に鳴き尽くす蝉たちより、愚かな。ただ愚かだと少しだけ感じとれて、泣くことをゆるされた。

ちょっとしか動けない私のそばにいてくれる、大切な人の、お母さんの、愛する人の心を、壊さないで。世界中のどんな人よりも、心だけはいっぱいに動かして、私はただそのことだけを、思い、願い、祈っています。
 ここに、私が、いま、こうして、生きていること、生きたいって願っていること、心痛くてつらくて悲しいこと、死にたくなること、助けてくださいと祈っていること。いのちを、泣きながら、私生きています。たとえ、忘れられていても。
 いま、ここで。


「 いま、ここで 」( 了 )

TOPページへ

銀河、ふりしきる
目次へ

サイトマップへ

© 2010 Kouji Takabatake All rights reserved.
inserted by FC2 system